| 1961年3月 |
ジャック クストー氏の製作になる「沈黙の世界」という映画を見て、ダイビングのすばらしさを知り、練習を始める。まだ当時は珍しいスポーツで器材も全部輸入製品で十分にありませんでした。練習は今の伊豆の海洋公園、前は東拓の海洋公園といっていましたがそこで行いました。レギュレーターもオクトパスや残圧計もついていなく、ファーストステージ と自分のメインのレギュレーターだけの簡単なものでした。タンクバルブもJバルブでエアーがなくなると予備タンクを開けて浮上するという今では考えられないものです。もちろんBCなどもなく、涎掛け式の救命具だけです。それであちらこちら日本で潜っていました。
今から考えるとそのころの日本の海は透明度もよく、すばらしい環境でした。 |